熊本地方裁判所 昭和63年(ワ)1172号 判決 1990年11月09日
原告 甲野春子
右法定代理人親権者父 甲野太郎
同母 甲野花子
右訴訟代理人弁護士 大村豊
被告 熊本市
右代表者市長 田尻靖幹
右訴訟代理人弁護士 山中真理子
主文
一 被告は原告に対し、金八九八万六七二二円及びこれに対する昭和五九年一一月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。
四 この判決は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は原告に対し、金四二一二万九〇〇〇円及びこれに対する昭和五九年一一月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、市立小学校の理科の授業で気化したアルコールに火をつける実験をしている際中に火傷を負った生徒が、国家賠償法一条に基づいて損害賠償を請求した事件である。
一 争いのない事実等
1 原告(昭和四七年九月一〇日生まれ―事故当時一二歳)は、本件事故当時(昭和五九年一一月六日)、市立白坪小学校の就学児童であり、六年三組に所属していた(争いない事実)。
2 同校の教諭訴外山口公康(以下「山口」という。)は、理科担当であり、昭和五九年一一月六日、同校の理科室において、原告を含む白坪小学校の六年三組の生徒たちを、一班四人ないし五人の班別編成とした上、「ほのおを調べる」実験の指導を行っていたが、三校時にアセトンを気化させて燃やす実験を行ったのに引き続いて、四校時にメチルアルコールを入れた試験管を湯の入ったビーカーにつけて熱することによりアルコールを気化させて火をつける実験を行うことになった(以下「本件実験」という。―争いない事実)。
3 山口は、本件実験に際し、アルコールの燃焼を容易にするため、試験管に注入するアルコールの分量を試験管の七割程度とやや多めに設定するとともに、アルコールが気化途中で冷めないようビーカー中の湯を十分充たす(五〇〇cc)こととし、また、アルコールの炎の視認性を高めるために背景となる黒紙を各班の一名に両手で支持させることにした。
4 ところが、湯の温度が低かったためか、メチルアルコールが充分気化せずなかなか火がつかなかったため、山口は、ビーカー中の湯が適正温度に達していないと判断して一旦生徒達にビーカーの湯を捨てさせ、職員室まで新しい湯を取りに行った。しかし、新しい湯を使っても火がつかなかったため、山口は、その際には生徒達に特に指示をせず、再度職員室に湯を取りに行った(争いない事実)。
5 原告の所属していた六年三組二班(四名)の生徒達は、二度目に山口が湯を取りに行った際(所要時間二ないし三分)、実験を継続して行い、試験管口の気化したアルコールに火がついたのでその炎を観察していたところ、火が原告のセーター(化学繊維製品)に燃え移った(争いない事実)。
6 原告は、セーターについた火を消そうとしたが、なかなか消えず、廊下に飛び出したところ、通りかかった訴外清田秀子教諭が原告のセーターの火を消し、それを脱がせて保健室に連れて行き、流水で患部を冷やした。しかし、原告は胸部中心上部付近から顔面下部にかけて約一〇パーセントの広さ、深度ⅡないしⅢの熱傷を負った(争いない事実)。
二 争点
当事者間で次の点が争われた。
1 山口の過失及び被告の責任原因
2 原告の損害額
3 原告の過失の有無と過失相殺
4 原告の損害の填補
第三争点に対する判断
一 山口の過失及び被告の責任原因
本件事故の態様を検討し、これに照らして山口の過失及び被告の責任原因を検討する。
1 本件事故は、山口が二度目に湯を取りに行くため理科実験室を離れた間に、原告の班の生徒達が、他の班の者から「試験管を斜めにするとうまくいくよ。」と言われ、試験管を斜めにして火をつけると試験管の口に火がついたため、その約三〇秒後に試験管の炎の後方に黒紙(ファックス原紙)を掲げ持つ係を同班の訴外乙山某から原告に交替し、原告らが更に炎を観察していた際、突然アルコールが突沸し、シュッと音を立てて炎が原告のスクールセーターの胸上部に燃え移ったため起こったものである。
被告は、本件事故は、原告の班の生徒達が、試験管を斜めにしてその口の部分を原告の方向に向けていた上、黒紙を試験管に近づけ過ぎたため、黒紙に火が燃え移り、さらに原告のセーターに燃え移ったため発生したものであると主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はない。
2(一) 以上第二の一及び右1の事実に照らすと、山口は、メチルアルコールは引火しやすく突沸の危険もあるのであるからその取扱いには細心の注意を払う必要があり、また、生徒が取り扱う場合も常時監督し、安全が確保できるように指導する義務があったにもかかわらず、これを怠り、実験に使用する湯を取りに行くため理科室を離れ、その間生徒に実験を継続させ試験管を傾けて実験しているのを止めさせなかった過失がある。
(二) 山口は被告の設置する白坪小学校の教諭であるから被告の公権力の行使に当たる公務員であるところ、本件事故は同人が白坪小学校の理科の授業を行っている間に、その過失によって発生させたのであるから、被告は国家賠償法一条により原告の損害を賠償する義務がある。
二 損害額(請求額四二一二万九〇〇〇円)
1 原告の治療状況と後遺症等
(一) 原告は、昭和五九年一一月六日から同月二二日までの一七日間、同年一二月一八日から同月二九日までの一二日間、昭和六一年三月一一日から同月二六日までの一六日間の合計四五日間天野整形外科皮ふ科医院(熊本市田崎一丁目三―八〇所在)に入院し、また、昭和五九年一一月二四日から昭和六〇年九月一〇日まで(診療日数四七日)、同年一一月一五日から昭和六二年一二月七日まで(診療日数一三日)の間同医院に通院して治療を受けた(同日症状固定)。
(二) 原告は、右の間、昭和五九年一二月一九日前胸部について右鼠蹊部からの恵皮による全層植皮術を、昭和六一年三月一一日前回植皮しなかった熱傷瘢根部で拘縮の著しい下顎・前胸部について左鼠蹊部からの恵皮により修正植皮・切除術を受けた。
(三) 原告は、現在、運動障害はないが、下顎、前胸部に植皮創、熱傷瘢痕が残っており、成長期瘢根のため身長が伸びるに従って創部が肥厚性瘢根となりやすいので、今後はケロイドの発生等運動障害を起こしたり、美容的に気になる場合のみ修正手術を行う予定である。
2 入院諸雑費 四万五〇〇〇円(請求額は同額)
原告は四五日間入院しており、入院諸雑費は一日当たり一〇〇〇円とするのが相当であるから、四万五〇〇〇円の入院諸雑費を要したことになる。
3 付添看護費 七万三五〇〇円(請求額は八万四〇〇〇円)
原告は、1(一)認定の昭和五九年の入院期間のうち二一日間は付添看護を必要とし、原告の母親が付き添っており、付添看護費は一日当たり三五〇〇円とするのが相当であるから、七万三五〇〇円の付添看護費を要したことになる。
4 後遺症逸失利益 一八六万八二二二円(請求額は二八九二万六二六五円の一部として二〇〇〇万円)
原告は、本件事故により、前記1(三)のとおり女子の外貌に著しい醜状を残す後遺症害を蒙ったものであり、今後職種が限定されることなどに鑑みると、三〇歳までの間、労働能力の一五パーセントを喪失したと認めるのが相当である。原告は、本件事故当時一二歳の小学生であったから満一八歳から三〇歳までの一二年間について、平成元年賃金センサスによる女子労働者(産業計・企業規模計・学歴計・一八歳ないし一九歳)の年間平均給与額一六六万七四〇〇円を基礎として、新ホフマン方式により中間利息を控除して本件事故時の現価を求めると一八六万八二二二円(計算式は左記のとおり。但し、一円未満四捨五入)となる。
12万8200円×12+12万9000円=166万7400円
166万7400円×(12.6032-5.1336)×0.15=186万8221.656円
5 慰謝料 一二一〇万円(請求額は一部請求として二〇〇〇万円)
(一) 入・通院慰謝料 二一〇万円
原告は、本件事故後、前記1認定のとおり入・通院加療を行っており、右入・通院日数等を勘案すれば、原告の本件事故による入・通院慰謝料としては二一〇万円が相当である。
(二) 後遺症慰謝料 一〇〇〇万円
女子として著しい外貌醜状を残しており、これにより現在までに蒙り、将来にわたって蒙るであろう苦痛は多大であり、慰謝料として一〇〇〇万円が相当である。
三 過失相殺
被告は、本件事故は、山口が原告ら生徒に対し、実験前に模範実験を示し、実験の順序、危険性を十分指導し、炎のついた試験管を真っすぐ立て、黒紙及び顔を試験管に近づけ過ぎないようにするよう注意をしていたのに、原告の班では右指導に反し、試験管が斜めにされその口の部分が原告の方向に向けられていたのに、原告が黒紙を試験管に近づけ過ぎたため、黒紙に火が燃え移り、さらに原告のセーターに燃え移ったため発生したものであるから原告にも相当程度の過失があり、過失相殺をすべきであると主張する。しかし、事故の具体的状況は第二の一及び第三の一1認定のとおりであり、右主張を認めるに足りる証拠はない。
なお、本件事故当時試験管が斜めになり、その口先が原告の方を向いていたことは証拠上明らかであるが、山口が試験管を傾けないように事前に指導したか否かについては、乙第三号証(事故後作成された報告書)中にはそのような指導をしたような記載があるものの、証人山口の供述は判然としないから、このような指導がなされたものとは認められず、また、山口が模範実験を示した事実は認められない。
四 損害の填補
1 原告は、昭和六〇年七月二二日ころ、訴外熊本県PTA連合会(以下「連合会」という。)から見舞金として一九〇万円を受領した(争いない事実)。
右見舞金は、連合会が、県及び市町村の出捐金又は補助金を基金とし、右基金の預金利息や会員の分担金を財源として学校の教育活動中の事故に対して見舞金を贈り、児童生徒の教育諸活動の円滑な実施に資するとともに、青少年の健全な育成をはかることを目的としているもので、もともと不法行為の原因とは関係なく支払われるものであること、給付される見舞金はすでに払い込んだ分担金の対価の性質をも有すること、また、昭和六〇年度版の「熊本県PTA連合会安全部会の行う災害見舞金に関する規約」(右見舞金の支払が昭和六〇年版の規定に基づいてなされたことは争いがない。)では、「災害給付の事由が、第三者の行為によって生じた場合において、連合会が弔慰金又は見舞金を給付したときは、その金額を第三者に対して求償できるものとする。」旨の規定が削除されたことに照らすと、右見舞金額を原告の損害額から控除すべき理由はない。
2 原告は、本件損害の填補として、センターから後遺障害見舞金として五九〇万円を受領した(争いない事実)。
右金員は、日本体育・学校健康センター法、同施行規則によると、被告とセンター間の災害共済給付契約に基づいて給付されたものであり、右契約にはセンターが災害給付をした場合その価額の限度において被告を免責させる旨の特約が付されているので、同法四四条により、原告の損害額から控除されるべきである。
五 弁護士費用 八〇万円(請求額二〇〇万円)
本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は、八〇万円と認めるのが相当である。
(裁判長裁判官 島内乗統 裁判官 野﨑彌純 脇博人)